MPLS で疎通がおかしい。そういうとき、手は考えるより先に動く。LDP の隣接は上がっているか。tunnel は張れているか。指がそこへ伸びる。長くやってきた人ほど、その「最初に見る場所」が手に染みついている。
番号の起点を網全体でそろえる、というところまでは、もう見てきた。同じ宛先が router ごとに別の値にならないよう、番号の共通の箱の起点をそろえる。そこまで畳んだ世界で、もし何かおかしくなったら、まずどこを見るだろう。
ところが、番号を地図と一緒に配る世界では、その握手が無い。途中の router が通り道ごとに抱えていた状態も無い。手が覚えた最初の確認対象が、向かう先ごと、そこに無い。
伸ばした指の先に、確かめるはずのものが無い。では最初にどこを見ればいいのか。それで全部見たことになるのか。そして、ここまで畳んできた先に、最後に残る問いは何か。
確かめる場所が消えたのではない。隣どうしの握手や通り道ごとの状態を確かめにいくのではなく、地図が網全体へ正しく行き渡っているかと、番号が揃って配られているかを最初に見る、と一手目を向け直す。


ひとつ引っかかるところがある。握手を確かめにいっても、その握手そのものが無いのだとしたら、代わりに何が「この転送は生きている」ことの目印になるのだろう。手が動く先が無いまま、その問いだけが残る。
手が伸びる先が、向かう先ごと消えている
旧来の MPLS で疎通を切り分けるとき、確かめにいく固有の対象が二つあった。
ひとつは、隣との握手。LDP が label を配るための専用の関係が、地図を配る関係とは別に、もう一本張られていた。だから「LDP の隣接が成立しているか」を、地図とは別に確かめる必要があった。もうひとつは、通り道ごとの状態。RSVP-TE が明示した経路を保つために、その tunnel の状態を経路の途中の router が抱えて、定期的に握り直していた。だから「この通り道が、経路の途中で正しく保たれているか」を確かめる必要があった。
LDP の握手は上がっているか。tunnel は張れているか。手が先に動いたのは、その二つが確かに確かめられる対象だったからだ。手癖が間違っていたわけではない。その時代には、確かめにいくべき固有の対象が、そこにあった。
ところが番号を地図と一緒に配る世界では、その二つが無い。専用の握手は張られておらず、途中の router は通り道ごとの状態を抱えていない。確かめにいく対象そのものが、向かう先ごと消えている。手は動くのに、その先に確かめるものが無い。だから「確認手段が減った」「もう何も見られない」と読みたくなる。
けれど、それは早い。消えたのは確認できるもの全体ではない。消えたのは、握手と通り道ごとの状態という、二つの固有の対象だけだ。なぜその二つだけが消えたのかが分かると、残っているものが見えてくる。
確かめる対象を一つ消すには、それを作っていた仕組みを畳めばいい
確認対象が一つ消える、というのは、実は引き算でしかない。
その対象を作っていた仕組みを畳めば、対象そのものが消える。番号を配る仕事を、地図を配る仕組みに兼ねさせる。前回までに見た、あの転換だ。専用の配布役を置かず、すでに地図を網全体へ配っている仕組みに、番号も載せて運ばせる。そうすると、label を配るための専用の握手が、そもそも張られない。張られていないものは、確かめようがない。専用の握手が無ければ、握手を確かめる仕事も無い。
通り道ごとの状態も同じ筋で消える。入口で通る経路を決めて荷札に積んでおけば、途中の router は経路ごとの合意を抱えなくてよくなる。経路ごとの状態は入口側へ寄り、途中の router はその状態を保たない。だから途中で「その道が生きているか」を確かめにいく対象が、途中には無い。


ただ、途中の router が通り道ごとの状態を持たない、と聞くと、途中の router からすべての状態が消えた、と読みたくなる。何も持たないなら、もう何も確認できないではないか、と。
そうではない。消えるのは、経路ごと・通り道ごとの状態だ。網全体へ配られる地図そのものや、荷札を見て次へ送るために要る情報は、途中にも残っている。番号も、その地図に載って運ばれていく。途中の router が何も状態を持たない、と畳んでしまうと、消えたものと残ったものの境界を取り違える。消えたのは握手と通り道ごとの状態、残っているのは地図と、それに載った番号。ここを分けておくと、「確認できない」ではなく「確認する場所が移った」として読める。
これは、SR を旧来より優れていると評価する話ではない。握手や通り道ごとの状態を見る癖が、元から間違っていたわけでもない。旧来はそれが固有の確認対象だった。移行の途中では、両方が並んで動く場面もあり、その間は旧来の確認対象も残る。確かめる場所が移るのは、番号を地図と一緒に配り切れる世界の中での、重心の移り方の話だ。
確かめる場所は、握手から地図の行き渡りと番号の揃いへ移る
握手と通り道ごとの状態。二つの確認対象を消したあとに、何が残るのか。
ここで身構える。確認対象が消えたぶん、代わりに何かを新しく見にいくのではないか。見る場所がむしろ増えるのではないか、と。ところが残るのは二点だけだ。
ひとつは、地図が網全体へ正しく行き渡っているか。番号は地図に載って運ばれるから、地図そのものが網のどこかで届いていなければ、その先の番号も届かない。だから最初に見るのは、隣との握手ではなく、地図が網全体へちゃんと配られているかになる。
もうひとつは、番号が揃って配られているか。地図は、宛先だけを運ぶのではない。そこには宛先を指す番号、隣へ進む番号、そして番号の起点となる共通の箱が一緒に載っている。番号の起点となる箱が網全体でそろっていないと、同じ宛先が router ごとに別の値になってしまう。前回までに見た「起点をそろえる」が効いていることを、ここで確かめる。だから二つ目に見るのは、番号と番号の箱が、地図の上に揃って載っているかになる。
専用の握手を切れる世界へ寄るほど、確かめる場所は、この二点へ収束していく。見る場所は増えていない。むしろ、別々の机に分かれていた確認が、地図という一枚の上に畳まれている。確認対象が減る代わりに、地図と番号の健全性に確認の重心が寄る。優劣ではなく、見る場所がどこへ移ったか、という話だ。
そして、冒頭で指が伸びた先へ戻る。MPLS で疎通がおかしいとき、まず隣との握手、次にこの通り道。そう動いていた手を、地図の行き渡りと、番号の揃いへ向け直す。無くなった握手や個々の通り道の状態を、最初の確認対象として探しにいかない。探しにいけば空振りするだけだ。代わりに、まず地図が網全体へ行き渡っているかを見て、次に番号が揃って配られているかを見る。
SR-MPLS では、確かめる場所が、隣どうしの握手や通り道ごとの状態ではなく、地図の行き渡りと番号の揃いへ移る。これが、長くやってきた手癖の、向け直し先だ。荷札を見て送る転送そのものをやめたわけではない。荷札の形式は残っていて、確かめる面のほうが移った。
地図と番号が揃って見えても、転送と道の生死はまだ確かめる
地図が網全体へ行き渡り、番号も揃って見えた。
ここで、切り分けを終えたくなる。地図と番号が揃ったのだから、もう転送まで正しいはずだ、と。けれど、地図と番号は、確かめる場所が移った先の入口であって、そこが終点ではない。
地図に番号が揃って載っていることと、その番号から実際に転送が組み上がっていることは、同じではない。受け取った番号から、荷札を読んで次へ渡す転送が作られているか。そこはまだ別に確かめにいく。
もう一段ある。番号の意味は、いつでも隣どうしの一歩ぶんを指すとは限らない。宛先を指す番号は、網全体で一つの宛先を指す。だから、地図と番号が正しそうに見えても、荷札が実際に狙った通り道を通って届いているかは、地図を見るだけでは言い切れない。必要なら、その道が実際に生きているかを別に確かめる。番号の意味が一歩ぶんとは限らないぶん、道を検証する見方も、旧来とは少し変わる。
確認が消えたのではない。入口が移り、その入口の先に、転送と道の生死を確かめる別の一手が残っている。地図と番号は移った先の入口であって、転送と検証を消す合図ではない。地図と番号が揃っているのに通信が流れない、という場面は、ここで初めて取り逃がさずに済む。
番号を載せている箱そのものを、別の形に置き換えられないか
ここまでを並べてみる。途中の合意をやめ、入口で経路を決めた。その経路を、通る点の番号の列で表した。番号を配る仕事を、地図を配る仕組みに兼ねさせた。番号の起点を、網全体でそろえた。そして、確かめる場所を、握手から地図の健康へ移した。
畳む、積む、兼ねる、そろえる、確かめる。一話ずつ、重なりを入口へ畳んできた。
次に MPLS で疎通を切り分けるとき、握手や個々の通り道へ伸びかけた手は、まず地図が網全体へ行き渡っているかと、番号が揃って配られているかへ向け直せる。そのうえで、地図と番号が揃って見えても、転送と道の生死は別に確かめる、と分けて持てる。手が覚えた一手目が、空振りする確認の前で止まらずに済む。
そうして畳み切ったあと、荷札の上を見てみる。そこに残っているのは、もう番号の列だけだ。途中の合意も、専用の握手も、通り道ごとの状態も、確かめにいくべき別建ての対象も、荷札の上からは消えている。残ったのは、宛先や隣を指す番号と、その番号を読むための共通の箱。
ここまで畳んでくると、最後に手元にひとつだけ問いが残る。
その番号を載せている箱そのものを、別の形に置き換えられないか。
番号の列は要る。けれど、その番号を、いまの箱に載せて荷札へ積むという形そのものは、まだそういうものだと決めてかかっているだけかもしれない。覚える対象はまだ何も無い。ここまで畳んできた向きが、その次にどこへ進むのか、という問いだけが、手元に残る。